子どもと親の野外等での様々な体験活動を創る、島根県益田市のボランティアグループです。
しまねリトルシェフとのコラボ体験
◆2007年6月23日(土)
赤雁の里(益田市赤雁町)
味覚とは、世界を知覚する能力そのもの
梅雨なのにアウトドアクッキング。計画時点で天候の計算を全くいれていなかったことに、毎度毎度反省能力の欠如に気付くがすでにときは遅し。週間天気予報はずっと雨。それでもアウトドアクッキングは雨天決行です。全天候型をモットーに、まぁ何とかなるでしょのノリで今日ここまでやってきた。そして、今回もまた当日朝から、雲が切れ、久々に晴れ間がのぞいてきたのであった。何とかなった。ふ・し・ぎ~。
「赤雁の里」は益田市の山里に位置する農村体験交流施設。市民農園と農家レストランでは気さくな農家の女性たちが、・・・はっきり表現しておこう、肝っ玉母さんたちが迎えてくれる。かねてよりここ「赤雁」で、数多くの体験活動を行ってきた。餅つき、漬物づくり、野外でのケーキづくり、交流会、思いおこしてみると、どの記憶も重複していて、いったいどれがいつのものなのか全くわからなくなってしまっている。それらのどの記憶にも共通しているのは、あの「育ちゃん」(※益田最強の農家のお母さん)の笑顔だったりする。
さて、今回はまず最初に「味覚の授業」を行う。甘味、塩味、苦味、酸味を調味料・食材を通じて体感。そのあと、それぞれの味がミックスされたキッシュ(ケーキみたいなもの)を食べ、そこに隠された味を言い当てる。
現代の子どもたちは、偏食とメディアなどによるイメージの誤解釈により、自らの味覚を失いつつあるという。子どもは、味を感じる舌の細胞の数が成人よりも多く、幼少期にさまざまな味覚を体験することにより、そのセンサーが正常に機能するようになるのだという。これはかなりコワいことだなと率直に思った。
各自、神妙な顔をしてキッシュを食べ、隠された味を言い当てる。たとえばチョコの味は、苦味と甘さのコンビネーションで構成されている。それぞれを分解してしまうと、とても食べられたものではない。チョコの中にこんな苦味が存在していたことに子どもたちは驚いた。ただ漫然と食べ物を嚥下していると、チョコの味は平坦で単一なチョコの味としてか感じることができなくなってしまうのだ。
「味」や「うまみ」を判断する能力が幼少期の食生活で決定されるという。つまり、毎日ケチャップやマヨネーズばかりで満たされた食生活をしていると、たとえば山菜の苦味やしぶみなどを「おいしい」と判断することが出来なくなってしまうのだ。
わが身を振り返ってみると、ばぁちゃんの造った「煮しめ」だとか、「ナマス」とか、幼少時は苦手な食べ物も多く、けれどもそれを食べないわけにはいかなかった。まず、他のおかずもなかったし、他のものが食べたいなんて言おうものなら・・・結局、あのころイヤイヤながらでもいろんな料理を食べたことにより、今ではいろんな国の料理の料理をスキキライなく楽しむことが出来る。こうしてみると自由な食生活において、食べ物の選択肢が増えたことが果たしてよかったことなのか・・・
もうひとつ、味覚は体験活動と同じで、より広く深い味覚体験をすることがなければ、人生の広がりさえも失ってしまうということだ。ワインをカッコよく傾けて、このワインおいしいねって言える能力=楽しみ、愉楽さえも感受できない体になってしまうわけだ。うーん・・・味覚は世界を味わう感受性そのもの、世界=外部を認識する能力に他ならない。
さらにもう一点。おいしさは、様々な味覚によって成立している。苦味も、甘さを加えればおいしいチョコになる。これって「体験」そのものにもあてはまる。辛さの存在しない体験は、貧弱で薄っぺらなものだ。より深い体験は、さまざまな困難や、逆にそれを克服した喜びなどを積み重ねることにより実現する。「おいしい」人生とは苦味も内包してこそのものだ。
野外でのびのび料理、おいしさ倍増でおかわり連発
当日の講師は隣町津和野のポンム・スフレの赤松健二氏と、益田市のレストラン・ボンヌ・ママン・ノブの上田幸治氏。彼らは「しまねリトルシェフ」を県内の料理人たちと結成し、子どもたちに食べることの楽しさやすばらしさを伝える活動をしている。
いよいよ野外料理のはじまりだ。5班に別れチームになって腕を競い合う。料理だけではなく、かたづけや料理の態度も採点になる。もちろん制限時間の一時間以内に片付けと盛り付けを完了しなければならない。材料は赤雁で採れた野菜を使用。ミネストローネとポテトサラダ、マヨネーズはもちろん手造りだ。用意ドン!野に出て、お日様のもと料理に取り組む。野外だから少々材料がこぼれても気にならない。予想以上に子どもたちは真剣だ。包丁カットにも出来るだけ手を出さない。料理と片付けは同時進行だ。
予定の1時間はあっという間に経過。全部の班が時間内に盛り付け、片付けを完了!すごい、やればできるじゃん。そして各班の料理をお互いに味見し合う。それがどの班のものもおいしい!シェフからはどのミネストローネもお店で出しても問題ないとの感想をいただく。みんな同じレシピで作ったのに、微妙に味が違うんだなこれが。シェフ持参の焼きたてのパンと一緒に、野原で昼ごはん。マヨネーズも手造りでサッパリしているのでいくらでも食べることが出来る。5班分食べるので、5種類のミネストローネとポテトサラダでおなかはパンパン。満足・・・。うちの子、家ではピーマン食べないんですけれど、今日は食べたんですよと、とあるお母さん。やはり野外でみんなと一緒に、そして自ら作るということで何でもみんな食べてしまうんだ。
毎回キャンプなどで思うのは、やらせてみると子どもたちでもきちんと料理を造ることが出来るということ。それが家でとなると、ママが台所をよごしちゃダメ、危ないからダメ、そういうことするもんじゃないからダメ!ダメ!ダメ!となるわけで、食育とはいうけれども、原点は家庭で子どもが料理に触れる時間、親子で一緒に料理を造るような余裕ある時間が流れているかどうか、という世の中の動きにまで行き着く。晩飯について朝から考えるイタリア人みたいな生活をこの益田でさらりとやってのけたいと考える私なのであった。(iwai)
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